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2006年4月

新耐震設計審査指針

原発の耐震設計の国の審査指針を更新する話し合いが一段落しました。

「規制強化」という新聞の見出しもありますが、どうも違う気がして仕方ありません。

直下型地震の想定をM6.5から6.8程度に上げると云いますが、旧指針では、そもそも直下型地震が起こることが予想される場所には建てないという前提があったのではないでしょうか。立地指針とあわせればそうなると思いますし、だからこそ実態は兎も角(浜岡原発ですあら)「活断層のそばには建てません」と宣伝していたのではないでしょうか。

直近で地震が起こるとは思えない場合にM6.5を便宜上想定したはずなのに、各地の敷地を鑑みて直下型地震を想定するのであれば

「直近で地震が起きることが予想される場所に建てても良い」

と云っている様なものです。立地指針と矛盾する指針であると思います。

初期の原子力発電開発に垣間見られた理想主義は既にズタズタにされていますが、更に追い打ちを掛けているように感じられます。

敷地ごとの調査でわかるのは活断層と歴史地震がメインになりますが、それらから得られた予想を超える地震が起きたことが今回の指針改定の契機になったはずで、それは2000年の鳥取県西部地震であったと思います。このときの地震がM7.3でしたから、M6.8ではエネルギーの桁が違います。

せめてM7超の地震を想定して欲しかったと思います。

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チェルノブイリ地震説

チェルノブイリの事故は地震がきっかけで発生した

と、いう説があって、現在発売中の週刊現代にも載っているのですが、地質学者の生越忠さんが東京で講演をします。

チェルノブイリ原発事故の地震誘因説をふまえると日本の原発の耐震安全性がすけてみえる

2006年4月30日(日)
13時 開場 13時30分 開会~17時

会場:神楽坂エミール(神楽坂教育会館)
講演:生越 忠さん(地質学者)
参加費:1000円(資料代含む)

茨城県、水戸市では

「チェルノブイリ事故20周年とプルサーマルを考える」が開かれて、こちらも行きたかったのですが、ダブってしまって悲しい。

2006 年4 月30 日(日)
午後1 時30 分開演(午後4 時30 分まで)
会場:水戸市民会館 3階 大会議室
会場費500 円
<パートⅠ>
    チェルノブイリから20 年、事故を振り返り改めて考える
    講師 今中 哲二さん(京都大学教員)
<パートⅡ>
    プルサーマルとは何か
    講師 伴 英幸さん(原子力資料情報室共同代表)

チェルノブイリの事故から20年と言うことで、今年は一杯一杯講演会やら集会が開かれましたが、これで一段落でしょうか。今年は普段の集会よりも人の集まりが良いようです。区切りの年で力を入れるのは人情とは思いますが、区切り以外の年も集まって欲しいように思います。

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日本人が原子力を好む理由

なぜ、日本人は原発を好むのでしょうか。

稼動原発の数や、発電量中に占める割合では他国に首位こそ譲りますが、上位にいます。計画ではおそらく首位でしょう。それだけでなく、東海地震の震源域のど真ん中に原子力発電所を建てるくらいですから、日本は世界中でも飛び抜けて原発が「好きな」国であるようです。

政治家、中央省庁の官僚、電力会社、原発メーカー、だけが原発が好きでも、これほどの事態にはならないように、思います。一般市民の多くも原発が好きなのは、ほぼ間違い無い、と、思います。

これには広島・長崎が大きな影響を与えているような気がします。

云うまでもなく、広島・長崎に投下された爆弾は単発の爆弾としては比類無き威力を発揮しました。「あれほど強大な災厄であるのだからエネルギーも巨大なハズだ」と、思っても不思議では無いのかも知れません。

原子爆弾の威力をTNT火薬何トン、と表現しますが、20キロトンのTNT火薬を爆発させても広島の災厄が再現されない、というのは良く云われるところです。反応速度が違う為に、到達温度も圧力も、通常火薬とは比較にならない程大きいのが原子爆弾の特徴といえると思います。

原子爆弾はエネルギーと災厄の比で通常爆弾よりも災厄が勝るのであって、災厄に比して多くのエネルギーが発生したわけでは無いわけです。実際、電気出力で100万kW級の原子力発電所では1日に広島型原発3発分のウラン235が反応していると云いますから、裏を返せば8時間掛けて良ければ天然ガスでも重油でも石炭でも、相応のエネルギーを発生させることが出来るというものです。

原子力が天然ガスや重油や石炭よりも、多くのエネルギーを発生させられると考えている人がいれば、それは勘違いというものです。

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ウランのしげん力

チェルノブイリ20年なので報道も多いのですが、原子力回帰が随分まことしやかに囁かれているようです。

古くから、原子力の必要性として、次のような図が描かれます。

綺麗なので四国電力の図を見てください。

(リンク切れですので、関西電力の図http://www1.kepco.co.jp/bestmix/contents/03.htmlをどうぞ)

一見ウランの資源量が石油より多いように見えますが、このような図を見る場合、現在のシェアを気にしないわけにはいきません。世界のエネルギー生産に占めるウランのシェアは石油の1/8程ですので、ウランの資源量は石油よりも1桁小さいことになります。

と、云っても、ふつうの人は信用しません。資源エネルギー庁の「原子力発電便覧 '99年版」の743ページのコピーをつけておきます。こういうときに原発に反対している団体の資料を使用しても無駄なので資源エネルギー庁の資料は重宝します。

Img_0001 奥から石炭、天然ガス、石油、ウランの資源量を表しています。ウランは資源量が少ないけれど、消費も少ないので、可採年数は石油を超えます。

 このような図を見せても、おそらく「原子力の資源が石油よりも少ないなどという事」を信じない人は多いと思います。可採埋蔵量は目安の一つに過ぎませんしね。

ウランの資源量に比べて、原子力に掛けられた期待は大き過ぎるように感じます。プルサーマルとしてMOX燃料を使用しても大勢に影響はありません。

大きすぎる期待に応えるためには本格的な増殖を夢見ることになります。けれども増殖は未だに実現していない技術ですし、どうしようもなく核兵器の問題がつきまとうので、そのような「夢(悪夢かも)のエネルギー」に賭けるのは大ばくちであって、とても乗れるものではない

と、思います。

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チェルノブイリ20年

日韓の首脳がお互いに挑発し合い、イラン、北朝鮮をはじめとして核拡散が憂慮されている今日この頃、日本ではプルトニウム抽出が始まって、

あと数時間でチェルノブイリの事故から20年になります。

さっき Google Earth で事故を起こした4号炉を見てました。現在では住む人の居ないプリピャチの町もよく見えます。広河隆一さんの写真で見た覚えのある観覧車がもの悲しく佇んでいます。

明日は東京ではキャンドルパレードが行われます。これを見た人は何かの縁ですから、参加しませんか?

原発止めよう!再処理止めよう!キャンドルパレード

期日:2006年4月26日
集合:18:30
出発:19:00

集合&解散場所:渋谷・宮下公園

主催/原発止めよう!東京ネットワーク

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もっとも小さい基準

自然放射線の1/100以下だから問題ない

などと事業者(だけならまだしも、公共機関まで)は申しますが、青森県六ヶ所村の再処理工場の操業で想定されている年間0.022mSvという実効線量の値は、青森県の自然放射線の実測値がだいたい0.5mSv/年ですから1/100以下ではありません。世界平均と比べれば1/100以下ですが、自分が現地住民だとして、「1/100以下」と云われれば、違うだろ、と云うに違いない、と思います。

ICRP(国際放射線防護委員会)の基準で、私が知る限り最も小さな基準は「長期放射線被ばく状況における公衆の防護」(Pub.82)にある年間0.01mSvというもので、これ以下であれば規制が「免除」される基準です。少なくとも六ヶ所村の再処理工場で正常運転、かつ、想定通りの希釈が行われたとしても、免除レベルの2倍以上となります。無視できるほど小さい訳ではありません。

で、その工場は既に想定外の事態が起き始めているようです。免除されない施設の想定外の放射性物質の漏洩ですから、一刻も早い操業停止を望みます。

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境界線

竹島周辺が騒がしいようで、将来像を可能性のレベルで想定できる限りしてみるのもおもしろいかも知れません。

私が考えたパターンは以下の通り

1.竹島は日本の領土、EEZも日本のもの
2.竹島は韓国の領土、EEZも韓国のもの

3.竹島は日本の領土、EEZは韓国のもの
4.竹島は韓国の領土、EEZは日本のもの

5.竹島を日本と韓国で分割する。EEZも分割
6.竹島は日本と韓国の共有地、資源は両者のもの

この中で、どれを望むか、と問われれば、6が好みでしょうか。国境線の引き方というのは大変難しいようなので、もめたときは「どちらのものでもない」という事にする以外に解決方法は無いような気もします。

「共有地の悲劇」にならないよう、両国とも資源の保全を行えば、特別な地域故の乱獲防止も不可能では無いのではないか、

と、思います。

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原子力安全委員会の無意識

先月の志賀原発2号炉裁判の判決を受けて原子力安全委員会が出した声明があるのですが。

志賀原子力発電所2号機建設差止請求事件(民事訴訟)判決について(平成18年3月24日)

これの中に、「北陸電力(株)が敗訴したとの報告があった。」(傍線、著者)となっています。これが「原告勝訴」となっていても、内容はなにも変わらないのですが、「敗訴」となっているところに、原子力安全委員会の無意識が働いていると思います。

原子力安全委員会は規制機関であり、自動車に喩えればブレーキ、一般の会社では監査役に当たるはずで、エンジンに当たる電力会社と癒着しては安全運転などできるはずがありません。

このため、原子力安全委員会は、意識的に、電力会社から距離を置く必要があると思います。

本来、公共機関はいずれの側にも荷担しないことが建前なので、勝訴も敗訴も無いはずです。現状では無意識に電力会社の位置に自分を置いているように思われます。その結果が「敗訴」という表現になった、

と、思われてなりません。

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電力を使用するから

お前は電気を使用しているのだから、原発に反対するな

と、真顔で云われたことがあります。ありえない、ばかげた意見です。

電気を使用しているからこそ、自分の電力源を選ぶ権利と義務があると思います。

そもそも、もしも私が電気を使用しないのであれば、便益が無いのですから、リスクを受け入れるわけにはいきません。原発だけでなく、水力発電にも、火力発電にも、風力発電にも、太陽光発電にも反対しますよ。

自分の使用している電力が原因で、他人を傷つけたり、核拡散を招いたり、子孫に負の遺産を残すことほど気がかりなことはありません。

自分が電力を使用しているからこそ、原発に反対するのです。

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インターネットと新聞

1999年9月30日に起きたJCO臨界事故の風評被害をめぐる裁判の記事をインターネットのgoogleニュースで見たので、次の日の朝刊を読んでからブログに感想を書こう、

と、思ったら、日経新聞朝刊には載りませんでした。

大きな事件があると、新聞各紙を買って比較するのが習慣だった(新聞毎にかなり違いがありますからね)けれど、最近ではインターネットで比較できるので、わざわざ買わなくても良くなりました。それでも新聞は買いますけどね。

電力株が下げている記事はあっても(原油高は燃料費が自動調整される日本の電力会社の足を引っ張るかは疑問ですが、原子力発電所のように資本が比較的掛かる発電方法を重視する場合、金利の影響は大きいでしょう。)事故時の賠償を嫌って株を売った

などという記事はありませんでした。放射線による健康被害ではなく、「風評被害」の賠償を認める判決だったので、あっても不思議ではないかと思ったのですが。

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STOP!再処理 ネットワーキング

STOP!再処理 ネットワーキング”に賛同し参加します。

再処理工場は政策転換に失敗した為の産物であり、たとえ1Bqといえども放射性物質の放出をすることは罪にあたると思います。

「自然放射能と同レベル」というのは行為に大きな価値がある場合に許されることであって、行為そのものに被曝を正当化する価値が無い場合、(人体に影響が無い)1μSvの公衆被曝も正当化することが出来ないでしょう。

料理をしている最中に包丁で切り傷を負う確率と同程度の頻度で他人に傷を負わせることを考えれば良いかと思います。傷は直り、寿命にも影響が無いとしても許せる事とは思えません。

「自然現象」と「人間の行為」を同様に扱うことは難しいかと思います。

現在参加しているすべてのネットワーカーズ
(コピーしてみなさまの記事にもお貼り下さい。時々更新してくださいね)

ネット・ワーカーズ ただいま 71

カエルファーム

中村 雅一のblog - コノ葉は風にのって -

Designcafe

日本を☆あっきーらめない~☆真実☆を探しています。

鯵、環境民俗学ヲ嗜ム

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温暖化いろいろ

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情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士

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日記はこれから書かれるところです。

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SENZA FINE

since 06.04.09

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リスクとベネフィット

アスベストの健康被害問題でクボタが周辺住民に社員を上回る補償を決めたことが話題になっているようです。

新聞記事など見ましても、なぜか、社員の方が高くて当然、「意外」という反応です。あるいは、裁判のリスクを避けた、という評価もありますが、「道義的」な意味を書く論が見当たりません。

ICRP(国際放射線防護委員会)の放射線防護の勧告などを見ましても、職業としてリスクを取った場合よりも「公衆」の方が基準が厳しくなるのは、リスクと便益の関係を考えれば当然なのかも知れません。

リスクの高い職業は賃金で報われなければならないとすれば、裏を返せば、職業であれば、賃金を得る為に多少のリスクを負うことも有り、かも知れません。が、なんの利も無く、リスクだけを背負わされた理不尽さは、せめて金銭だけでも補償されるべきかもしれません。

労災は補償されて当然ですが、公衆はそれに労働対価の一定の割合を上乗せして当然なのかも知れません。リスクに応じた労働対価が支払われていたか、は、また、別の問題ですが。

今後の公衆賠償の先駆、良い前例として扱われるような気がします。

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見出しと中身

「直下型への備え厳格に」

と、見出しは景気が良いのですが、中身を見ると、厳格になったようには思えません。

「現行指針に決定的な問題があると考える専門家は少ない。」

という心構えでは安全は保たれない、かもしれません。或いは

などを見ると、意見があっても取り入れられていないだけかもしれません。

「立地指針」に決定的な間違いは無いと私も思うので、現在の原子力発電所の立地点の選定には問題がある、と、思います。「耐震設計審査指針」の問題は、結局、原子力発電所の持っている「価値」の算定次第のような気もします。

(将来世代に対する責任とか、核拡散等の問題を無視するとして)
「原子力発電所をどうしても(命に替えても)建てたい」

というのであれば、「出来る程度のことをすれば良い」のでしょうから、「決定的な問題」は無いでしょう。逆に

「それ程(命に替えてまでは)、必要ではない」

と、思うのであれば、現在の様な「建てる事を前提とした」様な審査では「不十分」というものです。

どれ程厳しい指針としても「100%安全です」などというのは誇大広告なのは変わりがありませんし、「国のお墨付き」という表現などは、所詮マスコミの「幻影」であって、官僚さんは決して使わない言葉です。(マスコミが使用した際に抗議しないのは本来「追認」であるはずですが)

仮に事故が起きたとして、「命に替えても欲しかった」原子力発電所ならば、その人に取っては後悔も少ないのかもしれませんが、周りは迷惑ですし、「想定された災害」が「自分に降りかかる災難」になると、どれほど原子力発電が好きな人でも「こんなはずじゃなかった」という事はある、ような気がしますので、立地場所だけは間違えないようにして欲しいものです。

「立地指針」に従って、地震が少なく、火山が無く、地盤が良好で、人口が少ない場所を順に「世界中から」候補として挙げてみると、良いかと思います。(ウランを使い切るまでに日本に候補地が回ってくることは無いかも知れません。)

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電力は余っている

電力は余っている

と、云うとき、通例次の2つの現象を指すようです。

  1. 日本の電力会社は地域独占で競争が無く、また供給の安定性を重視する為、設備が過剰となっている。(原子力発電所を止めても支障が無いほど過剰である)
  2. 現代日本は有り余る電力を消費している社会である。

電力が足りないから原発は止められない、或いは、原発を止めたらその分の電力をどうするか

と、いう意見もありますが、夏のデパートでは寒さに震え、冬の電車では暑くて汗をかく現代日本では、最小限の電力(前の例に合わせれば、熱射病にならない程度の冷房、コートを着ていればしのげる寒さに抑える暖房)くらいなら、原発抜きでも問題なく確保できるでしょう。

勿論、人間の欲には限界が無いですから、「足りない」という意見も存在することは理解できます。仏教で云う「餓鬼道」なのかもしれません。それは「小欲」であって「大欲」では無いように思います。

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チェルノブイリ原発事故20年シンポジウム

今日は

チェルノブイリ原発事故20周年シンポジウム

	チェルノブイリ原発事故20年
	なにが起きたか、なにが続いているのか

	講演:ユーリー・シチェルバク(医師、作家、ウクライナ最高会議議長顧問)
	シンポジウム
		今中哲二(大学教員、京都大学)
		広河隆一(フォトジャーナリスト、チェルノブイリ子供基金顧問)
		振津かつみ(医師、チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西)

	期日:2006年4月16日(日)
	場所:国立オリンピック青少年総合センター
	開場:13:00 開演 13:30

	主催:チェルノブイリ20年シンポジウム実行委員会
		http://cnic.jp/modules/chernobyl/
	後援:ウクライナ大使館、ベラルーシ大使館、ロシア大使館

です。これをご覧になった方は、何かの縁ですから、是非ともお出かけください。

また、本日16日(日)、NHK総合テレビで午後9時からNHKスペシャル「汚された大地で―
チェルノブイリ原発事故20年(仮)」が放映されるようです。

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割り箸

日経新聞によると、中国が割り箸の輸出を止めたいそうな。

20年前から「マイ箸」を持ち歩いています。昔は

「ウチの箸が汚くて使えねぇってのか!」

と、云われることもありました。最近はそういうことも無く、お店の人の「受け」は良い感じで、たまに「おまけ」を貰ったりもします。(割り箸文化が減ったわけでも無いので、「マイ箸」作戦は今一だったのは否めませんけどね。)

「割り箸は国産木材の端材の有効利用」

と、親切に教えてくれる人も多いですけれど、最近の割り箸は殆ど中国産だそうで、端材でも無く、森林破壊にもなっているようです。端材であっても割り箸より良い利用法があるような気もします。

中国の割り箸輸出停止を機に国産林業が増えれば、それに越したことは無いですが、他の国の木を求めて移動するだけであれば、割り箸は世界の木にとって天敵扱いになるかもしれません。

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フールプルーフ

六ヶ所村の再処理工場で40リットルほどの放射性の溶液が漏れたようです。報道からは余り細かいことは判りませんが、「作業者がミスをしたため」という理由はよろしくないかと思います。

人間というのはミスをするのが当然ですから、ミスをしても溶液が漏れないようにしなければ計画は疎漏といわれても仕方が無いと思います。

「フールプルーフ(fool proof)」という概念を核施設の設計者が知らないはずが無いので、広報のあり方に問題があるような気がします。

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核発電所

英語の”Nuclear Power Plant” を日本語に訳すと「原子力発電所」となりますが、中国語に訳すと「核発電所」となるのだそうです。

Nuclear は「核」ですので、「核発電所」が正しい訳かもしれません。

「核」は、核兵器を連想しますので、敢えて「原子力」と、言い換えているように思います。この様な言葉の言い換えをジョージ・オーウェルは小説「1984年」で「新語法ニュースピーク(ニュースピーク)」と呼びました。

原子力関連用語にはよくあることです。ご用心。

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成熟こそ豊かさの証

『あなたは給料を半分にして貧しい国々の人々に分配するのですか』(日経新聞 2006.04.05 一面より)

という問いは「NO」という答えを想定しているようです。けれども

『貧しい国々から富を取り上げれば、給料を倍に出来ますよ』

と、云われて承諾する人も、少ないでしょう。

人間の「欲」には限りが無いことはよく知られていますが、「他人の犠牲の上に成り立つ幸福」は「小欲」を満たす事はあっても「大欲」を満たす事は出来ないように思います。

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よく解らないから・・・

昔見たCMに「よくわからないけど、すごい」と、いうのがあって、現代社会の縮図を見たような気がしました。

最初に食べた実がおいしかったからと言って、その辺に生っている木の実を片っ端から食べるような事をすれば、体を壊すに決まってますので、よく知らないものに対して慎重になるのは野生の要請です。

原発や、核燃に反対している人に対して、「よくわからないのに反対するな」という意見が時折、見うけられるようです。勿論、本来なら、よく解った上で、反対、賛成を述べるのがよろしいかとは思うのですが、敢えて云えば、

「よく解らない場合に賛成など出来るはずが無い。」

と、思います。

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資源有限・漁業無限

信号機の目が縦に並んでいると、(雪は無くとも)雪国に着いた実感がわきます。縦に並んだ信号機の目は、環境に応じた設計の代表例で、いつも感心します。

4・9反核燃の日に青森に行ってきました。

原水禁の集会が行われた会場の隣には漁業関連の建物があり、入り口に「資源有限・漁業無限」という看板が建っていました。もう、その看板に目が釘付けです。

美しく、力強い標語であると感じます。

有限な資源から無限に幸を受け取ることの出来る漁業と異なり、核燃は一過性の消尽する資源ですから、使えば使うほど減ってしまいます。「最後の使用済み核燃料」の処理は原理的に原子力発電所の電力で行えるはずも無いですから、原子力利用が進む事で未来世代に大きなツケを残してしまう気がして、しかたありません。

「資源有限・電力無限」と、なる為には、再生可能エネルギーとならざるを得ないわけで、再生可能エネルギーの生成が足りない場合は、漁業と同様、乱獲防止策をとった計画的な電力利用が必要となるのでしょう。

と、思いました。

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タイミング

「まだ計画は決定では無いのだから反対するのは変」

と云う人が居ます。

「既に計画は決定したのだから反対するな」

と、云う人も居ます。(ときに同じ人だったりするかも知れません)

何れも正しいのであればいつ反対すれば良いのでしょうか。

全く計画もないのであれば、反対する労力は掛ける必要も無いでしょう。
少しでも噂でもあれば反対する甲斐はあるでしょう。

「既にたくさん原発があるのに『反対』は変」

と、云う人も居ます。

無茶云わないでください。

一基も原発が無く、計画も無いのであれば、反対に意味はありません。
沢山あるからこそ沢山反対しなければいけない、

と、思います。

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核兵器の為の平和利用

「核兵器開発に繋がる核燃料サイクル反対」

と、云うと、

「私は核兵器開発など考えたことは無い!」

と、反論する原発賛成の方がいます。

勿論、その言葉は真実でしょう。問題は貴方個人ではありません。世界には、核兵器を持ちたがる勢力が一定数いて、日本にも当然存在し、年々勢力を増しているのではないか、という懸念を持っているのです。

原子力の技術者の知識と技術は核兵器の開発に非常に有用なのは云うまでもありません。技術者が100人いれば核兵器を作れる(か、どうかは不明ですが)として、原子力技術者の100人に一人(か、どうかは、正直判りませんが)が核兵器に賛成だとすれば、原子力産業を盛んにして、原子力技術者を10000人にすれば良いことになります。

核兵器を望む人に、原子力開発を止める理由はありません。ここに"Atoms for peace"の最大の問題があるように思います。

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夢幻

高速増殖炉は無限のエネルギー

と、誰かが「嘘」をつきました。素人の場合、「間違い」ですが、専門家の場合「嘘」です。

ウラン238がプルトニウム239に変わるのですから、増殖可能なプルトニウムは最大限ウラン238の量に制限されます。日本には濃縮ウランが輸入されますので「準国産」と云う場合には更に制限が厳しくなります。

原子力は現在世界のエネルギー生産の5%を担っています。これは石油や石炭に比べれば大変小さな値です。にも関わらずウランの可採年数は石油と同等でしかありません。100倍に増殖されても石炭の総エネルギーを大きく超えることは無いでしょう。石炭を無限のエネルギーとは云いません。従ってプルトニウムも無限のエネルギーというわけにはいきません。

使用すればするほど燃料が増える。という現代の錬金術あるいは永久機関である核燃料サイクルは「無限」ではなく、「夢幻」という他はありません。

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成長の限界

「成長こそ豊かさの源泉」という活字が昨日の日経新聞の一面に躍っています。

「反成長」に対する反論を書いているみたいなのですが、どうも話が噛み合っていないようです。有名な「成長の限界」(D.H.メドウズ他 ダイヤモンド社 1972)の最後の方から引用してみます。

大量のかけがえのない資源を要しない、あるいは環境の重大な悪化を生じないような人類の活動は、無限に成長を続けるであろう。

成長の限界は「物」的な限界であって、それ以外の成長には制限は想定されていません、し、する必要も無いでしょう。「物」の限界を超えないことは成長の条件であって、障害では無いでしょう。

例えば、航空機で上昇しようとして操縦桿を引くだけでは失速してしまいます。限界を考えない、無分別な成長主義より、抑制の効いたシステムの方が高い地点まで成長が可能である。というのは「成長の限界」の重要な主張である、と思います。

その後のシミュレーションによれば、現在は既に限界を超えているらしいのですが、敏感で老練な操縦士であれば感じるであろう失速の予兆は鈍感な私にはなかなか感じ取れません、が、しかし

気が付いたときには既に手遅れである。

という警鐘に耳を傾けるのであれば、成長の反対を停滞と捉えず、成熟と看做す必要がある。

ような気がします。

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整備

機械と言うのは初期故障というのがあるので、交換すれば良い、というものではない。

というのは間違いないと思います。が、原子力発電所の定期検査の間隔を伸ばすというのは、これとは別問題、だと思います。

起動時と停止時に事故が多く、定常運転時には事故が少ないというのも航空機事故を初めとして一般的な事実ではある。

とは、思いますが、過去の重大事故である、美浜2号、3号、福島第二3号、もんじゅ、JCOの事故ではそのようなタイミングでもないので、運転期間を延ばすことによる利はあまり無いように思われます。

2002年からずっと問題になっていますが、応力腐食割れの疵の進展速度の予測値と実測値などは、実測値の方が大きいのでから、点検間隔を短くする方向で良い様にも思います。

起動と停止を繰り返すと熱応力の為に寿命が縮まる、のは当然なので、一度止めたらとことん点検してから起動する、というのが良いのか、と思います。

尤も、ここは「反原発」なので、停止したら二度と起動しないことを望みますが。

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逆転

自然放射線レベルだから大丈夫

という宣伝がされることがあります。これに大いに不満があります。

人間は色々な理由で怪我をします。包丁で手を切ったり、髭剃りで血が出たり、酔っ払って転べば前歯を折ったりします。平均すれば結構怪我をします。で、怪我の確率は大して変わらないから、私が貴方を刺しても問題無い。などと云えば狂人扱いされても不思議ではありません。

例えばお二階の奥さんが物干し竿を階下に落として危うく貴方の顔を掠めたとします。

「あぁ!大丈夫ですか!ごめんなさい!!!」

と、お二階さんが言えば

「いや、大丈夫ですよ。怪我も無いですし」

と、貴方は答えるでしょう。これに対して

「普通に生活している場合に怪我をする確率と変わらないから文句を言うな」

と上から言われれば、

「俺は死ぬかも知れなかったのだぞ、その言い草は何だ!!!」

と、答えることになります。

現在の原子力事業者の説明は、まさしくこの後者のパターンだと思います。

加害者と被害者という立場を考えれば、加害者が変わらない限り、前者のパターンになることは無いでしょう。

放射線をちょっとくらい浴びたからと言って、あまり悲観的にならなくても良い、という意見に賛同しないことも無いのですが、だからと言って、加害者がそれを口にするのは許せることではありません。

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核燃サイクルに拘る訳

不肖、一市民的に核燃料サイクルに拘る訳を考えてみますと

  1. ウランが希少鉱物である為
  2. 使用済み燃料中のウランを燃料扱いすることで、廃棄物扱いしなくてはならない物質の量が減る為
  3. 使用済み燃料を原子力発電所から搬出する為
  4. 過去の計画を変更することは面子が許さない為
  5. 核武装を睨んでプルトニウム利用技術の習得、習熟の為

等々

1.は問題なく公的に認められていると思います。一般のイメージでは原子力の元であるウランは非常に大きな(実際反応単発のエネルギーは大きいのは間違いありません)エネルギー源であると看做されています、が、「大量」にあるわけではありません。

ウランがどのくらい希少であるかを資源エネルギー省の資料(ここで参照したのは1999年版の原子力発電便覧。とても便利なのですが、最近は発行されていない。)で見ますと、エネルギーで石炭比で数十分の一。原子力発電は発電効率が悪いからもっと差が開く、と、言いたいところだけれど、埋蔵量の予測値は当てにならないので、桁だけで比較しましょうか。決して潤沢な資源ではありません。

もっとも潤沢過ぎても困ってしまします。石油も石炭も昔から枯渇が問題だと言われ続けているけれど、実際に問題が顕在化したのは汚染(大気汚染、および二酸化炭素)の方が先です。もしも潤沢なウランがあったら、鉱さいやらなにやらで困ってしまいます。

再処理によって高レベル廃棄物が減容する、というときは2をさします。ウランを廃棄物扱いするか否かによって再処理によって減容するか否かが決まります。MOX燃料用ウランを使用済み燃料からではなく、天然ウランから取得する場合、高レベル廃棄物が減容する、というわけにはいかないでしょう、と、思います。

3,4,5はマスコミでも囁かれているようですが、公的に認められてことは無いようです。

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戦艦大和

大艦巨砲主義という言葉は失敗に対して使用する言葉、という事になっています。

もはや戦艦の時代では無く、航空機の時代である、という事を示したのは日本海軍であったのに、最後の巨艦も日本海軍であったのは、この国の体質なのかも知れません。

太陽光発電の技術では日本は世界随一である、と思います。燃料電池も風力発電も、世界有数でしょう。にも関わらず、各国が放棄した核燃料サイクルに拘る様は旧軍の悪癖がのり移ったかの如しです。

そもそもウランは「希少資源」ですので、各国が開発を進めようとしていた4,50年前であれば、原子力発電の普及に伴い、ウランの枯渇が心配されたでしょう。現在とは状況が異なります。ウランが余っている時期にプルトニウムの取り出しを行うなどは、国際社会に間違ったメッセージを送ることになりかねません。

3/31には青森県六ヶ所村の再処理工場のアクティブ試験が開始されました。何隻目かの戦艦大和の出航です。

願わくば、大きな事故など起こさずに、お金の無駄遣いだけで済みますように。

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県境雑感

昨日、青森県六ヶ所村の再処理工場のアクティブ試験が開始されました。(と、いっても年度末に合わせた滑り込みの開始宣言のように見えます。)

補助金や交付金は県境を越えられないけれど、放射性物質には県境など関係しませんので、越えて来ますので、青森県六ヶ所村に対する反対は、今、岩手県で熱くなっているようです。

http://www.iwate-np.co.jp/news/y2006/m03/d29/NippoNews_9.html

岩手県では何の利益も無く、リスクばかりを背負わされるのであれば、毛ほどのリスクも許すわけにはいかないでしょう。放射性物質は県境を越えてくるのに、安全協定も無く、説明もいい加減というので、岩手県としては怒らないわけにはいかないでしょう。

1999年9月に茨城県で起きたJCO臨界事故の際には、茨城県北部で起きた事故の為、茨城県南部よりは福島県南部の方が現場に近いにも関わらず、風評被害は茨城県南部の方が酷かったと聞いています。風評被害はなぜか県境を越える事が難しいようです。

JCOの事故を考慮すると、岩手県で、実際に放射性物質の増加等が観測されるか否か、が、岩手県にとっての明暗の分かれ道だと思われます。

都市住民の感覚では、放射能に汚染されればそこを放棄すれば良い。というのが心の奥底にあるような気がします。けれども、その土地で末永く農業や漁業を続ける為には、六ケ所再処理工場は迷惑施設であることは間違いない

と、思います。

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