« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月

核燃サイクル

昨年の省庁改編で「日本原子力研究所」と「核燃料サイクル開発機構」が合流して「日本原子力研究開発機構」となりました。

「核燃料サイクル開発機構」は元々「動燃」の略称で知られた「動力炉・核燃料開発事業団」が事故や不祥事で改称した(と、書くと「違う」と云われるかも知れませんが)訳ですが、いずれにも「核燃料」の文字が使われています。

ところが、最近、公的文書には「核燃料」の文字は見あたらず、「原子燃料」ばかりです。

動燃の母体は「原子燃料公社」ですから、先祖返りをしたのかも知れませんが、「核」の響きを嫌っているのかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

怖いモノ

天災は忘れた頃にやってくる

と、云ったのは寺田寅彦だそうですが、最近は世界中の情報が入ってくるので、忘れる暇も無いのかも知れません。情報としては入ってきても、義援金くらいが関の山で悲しく思います。

地震、雷、火事、親父

と、昔から云いますが、地震以外はどんどん怖く無くなっている模様です。

相対的に地震はどんどん怖さを増している感があります。

寺田寅彦が「天災と国防」で云うように「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す」もので、文明が進むにつれて耐震設計は進歩している事は確信していますが、それ以上に危険なものが増えているように感じます。

インドネシアは日本同様地震国で、石油も採れますが、非核地帯(条約は発効はしていないようですが)ASEANで最も原子力発電所建設に近いと聞いています。人類のチャレンジ精神には、凄まじいモノを感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

公衆の前の

六ヶ所村の再処理工場で作業者の方が被曝をしました。

これに対して、複数の団体が再発防止を申し入れしています。

外部に放射能が漏れたわけではなし、労災等の話はあるにせよ、部外者が口を出すのは筋違いではないか、という意見があるかもしれません。

けれども、過去の公害の例を見ると、公衆の被害の前兆として、従業員に被害が出ているようです。従業員の被害を職業に伴うリスクとして軽く見ていると、次は公衆被害になる、というのは公害の基本である、と、思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

再処理で減るモノ

再処理を行うと、放射性廃棄物が減る

と、宣伝されることが多いですが、世間では「放射性物質が減る」と受け止められることが多いようです。この違いを判っていて敢えて説明しない宣伝は詐欺に近いと思います。

回収されたウランをゴミと扱えば、放射性のゴミの重量は増えるでしょうし、資源とすれば減るのでしょう。では、回収されたウランを「ゴミ」とするか、「資源」とするか、が問題なのでしょうか。

ただの呼び名の問題であれば、使用済み燃料のママが良いんじゃないでしょうか。

それに、現在回収ウランの使用予定はありませんから、「資源」というより、せいぜい良く云って「不良在庫」でしょう。

溶媒やガラスの分だけ放射性物質として扱わなければならない物質の総重量は増えるのは間違いないと思います。Bqで計れば崩壊した分だけ減り、誘導された分だけ増えるのでしょうね。(後ろの方は無視しても良い)

回収されたプルトニウムによってウラン資源が節約できると云うけれど、大変な手間暇を掛けて回収して再度燃料として使用するよりも、燃焼度を上げた方が余程効率的である、と、物理学者の武谷三男さんが書いていたように記憶しています。

「燃料にまだ可燃物が残っているからそれを取り出す」

というのを大きな声で宣伝するのは前段のプロセスの燃料利用効率が悪いことを宣伝するようで、少し「格好悪い」のかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

放射能の除去

六ヶ所村の作業員被曝に関する報道ではプルトニウムが強調されています。

純粋なα線源を体内に取り込んだとしたら、外部からは発見できないでしょうが、プルトニウムにも色々ありますし、その他の元素が少しずつ混じっているのですから、ガンマ線等を計り、溶液なり気体の分析をすると全体の被曝量も算定できるのでしょう。

α線源は体の外にある場合は、無害に近いと思いますが、体内に入るとこれほど困ったものは無いので、気体で吸入した場合、肺を生理食塩水で洗浄したり、飲み込んだ場合、キレートの点滴等により排泄を促す様です。

ぶっちゃけて云えば、「体の中を洗剤で洗う」のです。

被曝量が法の規定より小さい、と報道されていますが、算定は「洗った後」なのか、「洗わずに済んだ」のか、が、非常に気になります。作業者の方は職業ですから、覚悟の上でしょうし、たとえば建築現場で怪我をしたのと同様でしょうが、公衆の場合、放射線のリスクも、「体の中を洗剤で洗う」リスクも勘弁して欲しい、と、思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

六ヶ所村作業員被曝ニュースの扱い

男性作業員が体内被ばく 六ケ所村の再処理工場

と、東京新聞が伝えている、と、googleのニュースで知りました。yahooやnifty等と比較すると、googleは原子力関連のニュースのヒット率が高いように思います。

肝心のニュースの内容ですが、正直に云いまして、大した内容が伝えられていないようです。「健康上の影響はない」と、発表された、ということは急性障害は起きていないようですね。各紙とも「内部被曝」であることを伝えています。

作業員の方はプロフェッショナルですから、リスクは御自身で判断するでしょうが、これが一般市民の場合、どうなるのだろうか、と、いうのが常に悩むところです。

1999年、茨城県東海村のJCOの事故は、職業人であっても、知識が無い事もある、との証明で、非常に衝撃的でしたが。

「ぶらぶら病」と呼ばれた様な症状を自覚したとして、果たして他人に理解させることは出来るのだろうか、と考えます。被曝量は少ない、と云われても、症状が出た場合、「事実」の方が優先だと思います。被曝量の算定が間違っているか、自分が放射線に弱いか。いずれかでしょうか。

けれども、本人の自覚症状以外に「客観的」な観測がありません。被害を認めてもらえるでしょうか。

個人であっても風評被害も考えられます。原子力災害は風評被害に対しても損害賠償が行われる、というのが、JCOで実践されました、「労災」の場合どうなるのでしょうか。

将来癌になる確率が少しだけ高まった、と、聞かされた場合のストレスはどうすれば計量できるのでしょうか。

目に見える傷がつかなくても被害の出る放射線というのは非常にやっかいな代物である、と思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原子力安全委:耐震指針の意見募集

内閣府原子力安全委員会で意見募集が始まりました。

「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針(案)」、「原子力安全基準・指針専門部会の見解」及び「各種指針類における耐震関係の規定の改訂等について(案)」に対する意見募集 (http://www.nsc.go.jp/box/bosyu060523/youkou_taishin.html)

こういうのは専門知識が無いとなかなか意見を出しにくいのかもしれませんが、ぶっちゃけ、他の専門や、一般的な「感覚」も応募する価値があるように思います。

世間知から判断すると、耐震設計審査指針は「作るための指針」であって、「安全である保証」にはなっていない、と、思います。

あるいは、耐震指針に世間の大きな関心があることを示すためにも多くの応募を期待したいと思います。世間の関心が無くなったとき、国家というのは極悪非道になることもある、と、過去の歴史から推察されます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原爆症訴訟、国が控訴

原爆症訴訟で国が控訴したようです。

控訴をするのを決める人たちのリスクは何だろう、と考えると、「評判」でしょうか。

控訴の理由が、自分たちの「理解と異なる」などというのは判決の時点で分かっていることですから控訴の理由とはならないように思います。

癌などで体調が悪化した際に、その原因を100%追求することなどは不可能でしょう。原爆に被爆していなくても癌になるのですから、そんなことは、被爆者の医療保障を決めたときから分かっていたはずで、それでも保障するのであれば、「原爆が原因でない」ことを証明できる人以外は認定すべきなのではないか、と思います。

あるいは、広島や長崎にいなかったと証明できたり、治療の必要が無かったり、裕福であり補助を必要としない、というのであれば控訴しても良いのかも知れませんが、そうでないなら、「原爆が原因であることを否定できません」ので、補助する方が良いかと思います。

「間違って認定してしまうリスク」を恐れていたら必要な認定まで出来なくなってしまうようにも思います。特に経済的に困窮している人の場合、国が控訴することで更に困窮することが考えられますので、控訴で国が敗訴した場合を考え、特別な救済策を講じる必要もあるように思います。そんな事をしていては制度が複雑になりすぎますので、控訴せず認定した方が良い、と思うのです。

被爆に伴って差別も行われたと聞いています。ならば、救済はその分大きく開かれなければバランスがとれないとも思います。これの問題は、科学、と云っても、社会科学の問題である、と思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

間違い訂正

昨日は失敗でした。

核兵器級のウランが即発臨界になれば、核爆弾そのものですからね。

と、つい、書きましたが、これ、発電用原子炉を思い浮かべてました。失敗です。ウランの同位体比が核兵器級でも、その他の物質が多ければ「核爆弾そのもの」とは言い難いですね。

詳細は軍事機密だそうですが、原子力潜水艦や原子力空母の原子炉は酸化ウランの粉末をジルコニウム合金に溶かし込んでいるそうですので、民生用の原子炉のウラン238の替わりにジルコニウム合金があるとすれば、爆弾よりも原発に近くなりますね。

何年も燃料を交換しない(原潜に至っては退役まで一度も替えない)そうですから、余剰反応度は発電用原子炉より多そうです。反応度事故のおそれは、民生用原子炉よりは大きそうとは思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

横須賀原子力空母母港化

横須賀を母港とする空母が退役すると、次の空母は原子力空母になる、

という話があります。賛成意見は河野太郎議員にでもしてもらうとして、横須賀のように人口密集地に近い内海を原子力空母の母港にするなんてのは米軍が日本国民の権利を軽んじているように思えます。

じゃあ、外海なら良いのか、と問われれば、勿論私は反対です。

横須賀市が4/17に受け取った「原子力空母は安全だよ」という宣伝文(ファクトシートといいます)を見せてもらいましたが、体裁が古いですし、線量をレムで表現していたりするのでかなり前に作成された物ではないか、と推察します。

具体的内容は「軍事機密」ですしね。最近空母の勉強をしようと思って書籍とかDVDとか買ったけど、原子炉の詳細は判りません。(カタパルトの最終試験で陸軍と書いた重しをぶっ飛ばして馬鹿にするのは分かりましたけど。海軍と陸軍が仲悪いのは日本だけでは無いのですね)

単純な出力で比較すれば重油ボイラーも同等の出力を持っているのに、非常に高価な原子炉にこだわる理由も分かりません。潜水艦であれば原子炉は圧倒的な優位をもちますから、持ちたいのは分からなくも無いですし、他の国も持っています。

軍用の原子炉はウラン235の同位体比が90%を越えるそうですから、反応度事故にだけはなって欲しくないと思います。核兵器級のウランが即発臨界になれば、核爆弾そのものですからね。しかも広島型原爆と比較すれば桁が3つくらい大きい量を内蔵しています。

米国が製造した原子力兵器は敵をやっつけることよりも、自国民を傷つける事の方が多いようですからご注意願います。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

六ヶ所放射能漏洩

報道によりますと、六ヶ所村の再処理工場で放射性の溶液が漏れたそうです。

日常的に放射能を放出する再処理工場とはいえ、漏れないはずのウランやプルトニウムまで漏れてしまうのは、大問題でしょう。

去年同様のトラブルが起きていて、対処をしたはずの場所だそうで、読売新聞も「今後、当時の点検手法の妥当性も問題になりそうだ。」と、書いています。

対処したと云っておいて漏れてしまっては、再処理に賛成の人も困るでしょう。

対処できていないのは技術が足りないのか、管理がまずいのか、いずれにせよ能力不足なのでしょうか。六ヶ所村の再処理工場には、国内はもとより、海外まで含めて相対評価として優秀な人を集めていると思われます。それでも能力が足りないのであれば、誰がやってもダメと予測がされるので、事業そのものを停止、位の事は、元来賛成の人であっても云うかもしれません。

元から再処理に反対の人は更に強く反対します。ここには書きませんので、心の中で酷い言葉を思い浮かべてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原爆と原発事故の相違点

「広島でさえ復興したのだから、チェルノブイリの事故後の避難は大げさすぎるのではないか」と、いう意見を聞いた事があります。

災厄としての原爆は爆発時の爆風・熱線・放射線が重要ですが「復興可能性」を考える場合、爆発時の放射線よりも核分裂生成物による放射線被曝が重要になります。次の2項目により、原爆の爆発よりも原発の事故の方が復興が困難になることが予想されます。

  1. 広島の原爆が1kg未満のウランの核反応であったのに対し、原子力発電所に内蔵される放射性物質は、その1000倍以上のウランの核反応の結果である。
  2. 原爆では、爆発後の上昇気流により、核分裂生成物が成層圏まで打ち上げられるのに対し、原発事故時の放射性物質は煙突や建物の割れ目から「細くたなびきたる」ことになる為、より「濃い」ことになる。チェルノブイリの事故時には爆発が起きたけれども、それでも爆弾ほどではない。

直接の殺傷力は原爆の方が大きいのはもちろんですし、広島・長崎に原爆を投下した米国の罪の巨大さは云うまでもありません。しかし、広島・長崎が復興したことは、原発の大事故後に復興できる保証にはなりません。

一般の感覚からすると、原発事故による放射能汚染は、確率がどんなに小さくても、少なくとも日本の様に土地の狭い国では、受容可能な規模では無いと思います。大型原発の大事故は「絶対あってはならない」と、思います。

複数の原発の核分裂生成物を一手に扱う再処理工場なら更なり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

石油の備蓄

石油の国家備蓄を7000万キロリットルに増やすそうです。

ちょっとウランに換算してみたいと思ったのですが、大体、原油1klをウラン0.1kg位に換算するようです。これはちょっと計算してみると濃縮ウランで発熱量ベースでしょうか。まあ、だいぶ粗い概算です。

それで概算すると7000万キロリットルは7000トンのウランに相当する事になります。

ウランは備蓄には向きそうです。

原油では120日分ですが、ウランの7000トンは日本の4~5年分ほどでしょうか。石油を全部発電に回すわけにもいきませんから比較する方が悪い、とも思えますが、原油の消費は大きいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

明日可能になる

今日の不可能は明日可能になる。

と、いう言葉が結構好きです。ロシアのツィオルコフスキーという学者さんが言ったそうですが、原典まで遡ったわけではないので違うかもしれません。今日はこの言葉を真と仮定して進めます。

原子力発電所にしろ、再処理工場にしろ、今日、絶対安全など望めませんし、放射性廃棄物を日常的に放出せずには運転できません。きっと(遙か遠いかもしれまえせんが)将来はもっと安全になるし、日常的な放出も押さえられ、核廃棄物の問題も解決可能になるのかもしれません。

けれども、現在はそれらの問題が解決されていませんし、一部の問題は解決しようともしていません。そのような段階でウラン燃料の大量消費、放射能の大量放出、大量備蓄を行うことは、「明日」可能になってから振り返ると馬鹿げているように見えると思うので、現在は原子力を止めるのが得策だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

針と糸

原発が続いたので、少し休憩して昔話を一つ

もう随分前のこと、叔母と話をしていた時の事、

「昔は靴下の穴も繕ったもんだよ。物は大事にしないと。」

と、云うので、「今も俺は靴下繕って使ってるよ。」と、受けたら

「新しいのを買いなさい。」

と、叱られました。全く人の心は難しいものです。

切れた電球をとっておいて、靴下を繕うときに使います。裏返した靴下の中に電球を入れると、裏を一緒に縫い込むことなく、大変簡単に穴がふさがります。

ちょっと穴が開いたくらいで捨ててしまうのでは「もったいないお化け」が出ようってもんです。もっとも、叔母に怒られないように「よそ行き」の新品を用意するのも忘れないようにしないといけませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

準国産

プルトニウムは準国産エネルギーである

という宣伝がまかり通っています。宣伝が行き渡ると「準」が消えて「国産」と云う人まで出てきます。

たとえば火力発電所の効率が30%から50%にあがったとすれば、その分利用可能なエネルギーが増えます。この効率改善に当たる部分を原子力業界では、「準国産」と称するわけです。

元々、ウランはその資源の1%内外しか利用できないのが、少しくらい増える(プルサーマルではほんの少ししか増えない)からと云って大喜びして「準国産」などと云うのは志が低すぎると思います。

その程度の事で準国産と云って良いなら、「長期備蓄された原油は準国産」とか、言えるかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原発は二酸化炭素を排出しない

原発は(発電課程で)二酸化炭素を排出しないから環境にやさしい

と云う宣伝がまかり通っています。流石に宣伝が上手です。

「二酸化炭素を減らす替わりに一酸化炭素を増やす」

などという変な例を考えると、単純に二酸化炭素が減る事だけに注目していては困ることは明白です。他の毒物が増えないのであれば、二酸化炭素が減る分だけ有益である、という事がいえると思います。

原子力発電所の燃料はウランですから、ウラン鉱山からの鉱滓や精製、濃縮、廃棄物までをすべて評価して、二酸化炭素の害と比較しなければならないはずです。火力発電所の効率改善による二酸化炭素排出量の削減は評価可能と思われます。石炭、石油、天然ガスまではほぼ「同系統」の質のエネルギー源ですので、比較も出来るのでしょうが、原子力のように質が異なる害を比較することは非常に困難に思われます。原子力の場合、「核兵器の害」が付きまといますので、これを「二酸化炭素の害」と比較することなど、とても出来ることとは思えません。

「二酸化炭素の排出が減るから原発は環境にやさしい」という命題に対する私の評価は「評価不能」という事になります。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

原爆症認定裁判

原爆症の認定裁判で原告が勝訴したそうです。おめでとうございます。

国の「基準は科学的で正確」と、仮定してみても、科学的であるためには統計を基に議論をしているはずで、統計誤差が0%などと云うことはありえませんから、「原爆症で無い人を、原爆症である、と間違える」可能性と「原爆症の人を原爆症ではない、と間違える」可能性を考慮しないわけにはいきません。

原爆症認定の目的が被害者救済であるならば、「原爆症である、と間違える」可能性はある程度許されても「原爆症ではない、と間違える」ことはあまり許される事では無い、と思います。

一般に国が基準を作ると、体の強い人も弱い人も一緒の基準になってしまいます。学者さんの研究対象であれば当然かも知れませんが、行政としては、弱者保護を基調として欲しい、と、思います。

広島の被爆者で最も若い人で60歳ですから、裁判が長引くことはよろしく無いでしょうし、もしも間違って、原爆が原因で無い人に支給した、としても、間違って支給しなかった場合に対する保険料だと思えば、それほど高いものでも無い気もします。

行政府が控訴をしないこと、認定を迅速に行うことと、今後の裁判でも被害者救済の判決が出ることを望みます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

遺伝的影響

広島・長崎では被ばくによる遺伝的影響は観測されていない

と、云ってもなかなか信じてもらえないことがあります。一つには胎児の被ばくと遺伝的影響が混同されている事があると思います。遺伝的影響、と云った場合、親の被ばくが被ばくしていない子供に及ぼす影響でなければなりません。もう一つはヒト以外の動植物による実験では遺伝的影響が観測されている事がある、と、思います。

観測されていない、とされる遺伝的影響は、既知の遺伝病の増加であったり、染色体の転座等の増加が無い、という事であるのに対して、動植物の実験ではもっと微視的なDNAの突然変異が着目されているようです。

学者さんであれば兎も角、一般市民の場合、DNAの細かな突然変異がどれほどの意味を持つのか、という疑問があります。少なくとも同一の遺伝子を持ったヒトは一卵性双生児以外あり得ないのですし、突然変異があったとしても、遺伝される病気で無い限り、それは「目の色」以上の違いには感じられないような気もします。

婚姻等で相手に「非の打ち所がない」事を求めることは良くあることでしょうが、それは「無い物ねだり」である事もよく知られているところだと思います。どのみち完全な遺伝子など存在しないのですから。

けれども、では、他人の遺伝子に傷を付けても良いか、と聞かれたら「駄目」以外に答えは無いと、思います。これは傷害事件の被害者と加害者の扱いに似ている、と思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

再処理で容積は減るか

再処理をすると廃棄物の容積が減る

と、いう宣伝があったりします。

詳細を見ると、直接処分の場合、燃料集合体をそのまま廃棄すると仮定して、その外形と、再処理した結果のガラス固化体の外形を比較しているようです。

もしも外形のサイズが重要なパラメータであるなら、直接処分であってもシュレッダーとプレス機で固めればかなり小さくなるのは明らかです。

けれども、その様なことをしないのは、外形が実は重要なパラメータではないことを表しています。もしも地中に投棄するとすれば、発熱の計算からガラス固化体は一定の間隔を開けて埋められることになります。少しくらい外形が大きくても処分場の面積は変わらないのは明らかです。

外形ではなく、ピタゴラスの気分になって、水を一杯に入れた容器に「物」を沈めて溢れた水の量を量るような「実容積」を比較した場合、ガラスや溶媒の分だけ再処理をした方が大きくなるでしょう。

再処理の結果、容積が小さくなる、というのは、冗談であるか、あるいは、誇大広告だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

医療被ばく

健康診断でレントゲンをとったのですが、そのことを仕事先の若い子と話すと、今の20代前半の子は子供の頃、胸部レントゲン撮影はしなかったそうな。

「最近」では結核の危険より被曝の怖れ:の方が大きくなったから子供のレントゲン撮影は減った、と、聞いていたけれど、それがもう20歳を越えて働いているのだから、自分の歳を感じます。

成人病検診だったので、胃のレントゲンまでやって、胃のレントゲンは透視だから肺のレントゲンと比べると被曝量が多いんだよなぁ、ときどき急性障害にまでなるって云うしなぁ、などと思いながら、もう年齢が年齢だからそれでも胃ガンの発見の方が大事か、と割り切って診察を受けました。

胃カメラは胃カメラで辛いし、胃カメラで胃壁を傷つける確率も結構高いみたいですしね。(国内の某原発の地震の際の炉心損傷の確率と同等だそうな)

「胃ガンになっても手術しない」

と、割り切っちゃうような達人なら、検査もしないんですけど。手術に比べれば胃のレントゲンも胃カメラも体の負担が小さいことは間違いないですし、医療放射線の場合、原発や核燃施設と異なり、リスクと便益がどちらも私が受けるので、勘定はしやすいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ウランの濃縮

六ヶ所村のウランの濃縮工場の裁判で原告の控訴が棄却されました。

日本の濃縮工場が世界に間違ったメッセージを送る事が心配です。特にイランや北朝鮮に「日本だって濃縮工場を持っているではないか」と、云われると返す言葉がないのでは無いでしょうか。

濃縮工場は行政の裁量範囲の中に入っている、という事であるけれど、イランや北朝鮮に関連して、ウランの濃縮の意味が少しずつ変わって来ているのだから、もう少し違った判決が出ても良かったかと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ウラン238の放射能

ウラン238は放射性物質ではない

などと、変なことを云う人がいます。理科年表によれば半減期4.468×109年でα壊変と自発核分裂をすることになっています(放射線データブック 地人書館 には自発核分裂はのっていない。微妙だなぁ)。れっきとした放射性物質です。数秒、数時間、数日、数年の半減期の放射性物質と比べれば放射能が弱いため眼中に無くなってしまうのでしょうか。

原子というのは非常に小さいもので、その分、数が非常に多い事を忘れてはいけません。1molの物質には6.02×1023個の原子がありますから、約45億年の半減期でも毎秒約2.9×106回程の崩壊を行うことになります。

α線は簡単に遮蔽されますし、ウラン弾のように弾丸の形状をしている場合、人体に影響を及ぼすことが出来るのは、表面の部分だけですから、これは無視できる程度の放射能だと思います。けれども、ウラン弾が使用されると、金属ウランが燃焼し、エアロゾルになります。きわめて微小な粒子のかたちで吸引された場合、ウランから放出されるα線がすべて人体に影響を及ぼすはずですから、無視する訳にはいかない、と思います。

半減期が長いと云うことは現在の放射能が長い期間続く、という事に他なりません。おまけにウランには娘がいますので、その分も放射線を出すことになります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

微小被曝の救済方法

罰には証拠が必要です。証拠も無く、罰する訳にはいきません。

たとえば、完全犯罪は証拠が無いため、罰することが出来ません。けれども、罰が無くても、罪であることには変わりないと思います。核施設から放出された放射性物質が原因で「たまたま」死ぬ人の数の期待値は、どんなに薄めて放出しても0にはなりません。

この責任はどのようにすれば取ることが出来るのでしょうか。

もしも私が原子力に賛成であれば、まず、放出停止を訴えます。たとえ現在の技術で不可能であっても、可能になってから稼働すれば良いだけの話ですし、可能にするための予算措置を執る必要があります。

確率的に増える癌患者を補償する医療費補助を考えるかもしれません。低レベル放射線による癌の増加は確率の話なので全額を負担する必要はないでしょう。癌の増加率を考えると癌患者全員を対象にしてしまうと、少額になってしまうでしょうから、あるいは、癌治療の基礎研究等の基金設立等の方が効果的かも知れません。早期発見に繋がるような検診に対する補助の方が良いかもしません。

けれども私は原子力発電に反対ですから、原子力発電所、核燃施設の廃止を訴えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

放射能放出を支える無意識

原子力発電からは全国集計すると日常的に放射性物質が1014ベクレル程度放出されているようです。六ヶ所の再処理工場は希ガスでは1017ベクレルまで放出しても許される値のようです。

原子力発電便覧(資源エネルギー庁)などを参照すると、既に廃止された茨城県東海原発だけで1014ベクレル程のクリプトンを放出した年もありますので、その他の発電所はその分割り引いて考えた方が良いと思います。基数が増えているのに量が減っているのは所員の方々の立派な仕事だと思います。

立派な仕事ではありますが、大学の研究施設で使用するような量と比べると、「桁違いに多い」、というのが私の感想です。事業者や行政は「拡散するから安全です」と主張します。拡散する、ということは薄まると同時に汚染が広範囲に広がる事を意味します。

1017ベクレルの放射性物質が一カ所に集まった状態で被曝すれば、その線源が原因で障害が起きたことは、簡単に明らかになるでしょう。対して、拡散して薄められた放射性物質では急性障害は発生せず、癌や遺伝的影響が確率的に発生する事が考えられます。

癌の原因は放射線だけではありませんし、発生した癌から原因を特定することも出来ません。もしも「たまたま」原子力発電所から放出された放射性物質が原因で癌になり、それが元で死んだ人がいたとしても、原子力発電所が原因である事を証明する事は困難でしょう。

たとえ疫学調査で癌発生の増加が確認されたとしても、放射性物質の放出が原因であるのか、その他の、たとえば生活習慣の変化等が原因であるのかを特定することは困難ですし、「誰の癌が、放出された放射性物質の為に起きたのか」を確定することは出来ません。

この事実が核施設からの放射性物質の大量放出を支えているような気がします。けれども、それは悪く云えば「ばれなきゃ良い」という事であり、あまり許せる事では無いように思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

後から出てくる被害者

水俣病で現在でも患者数が増えている理由は、差別を避けるために隠していたり、自覚症状が無く検査を受けていなかった事などがあげられるようです。

チェルノブイリの事故による死亡者の想定数はいろいろ報道されていますが、計算上、では無くて、実態調査を行おうとした場合、差別を避けるために、放射線被曝も隠される事を想定する必要があると思います。

また、ガンなどは疫学調査の対象になりますが、チェルノブイリのような事故の場合、自覚症状の無い被害者を、直接、救済することは難しいでしょう。

けれどもどちらの被害も「損害」に算入しない訳にはいきません。

隠された被害者を、隠されたまま救済する事を考える必要があるような気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

CO2の埋設

日経新聞 2006/05/04 朝刊一面トップが「排出CO2地下に埋設」となっています

石炭火力発電所で発生した二酸化炭素を液化して地下に注入するようです。二酸化炭素の排出量が多いため、敬遠されがちな石炭の活用するための、ちょっとした動きが一面トップというのは少し驚きです。技術そのものは以前にも報道されていますので、「初の事業化」というあたりがトップに来た理由でしょうか。

稀少資源であるウラン235と比べて、非常に潤沢な資源である石炭は大量消費をしたい人には実に魅力的であると思います。輸出入に核物質や核技術のように変な足枷も掛かりませんしね。

地下に注入する際の環境影響が心配ですし、両手を挙げて賛成、という訳にはいきませんが、核拡散に比べれば多少の問題には目が瞑れるというものです。さて、どうなりますか。

記事中、石炭と対比される資源が天然ガスや石油で、「原発」のげの字も出てこないところに、新聞記者の苦労が伺えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

4000人、多いか少ないか

2005年9月のチェルノブイリフォーラムによるガン死者の見積もりは約4000人だそうですが、これは報道によりますと、原発職員や後始末に携わった人、および汚染が酷い地域の住人約60万人が母数だそうです。

以前の報告では、上記の数に、低汚染地域の500万人を母数に加えて9000人としていたそうですから、要するに今回は低線量被曝の分を切り捨てることで被害者数を減らしたようです。西欧北欧などは眼中にも無いようです。目をつぶれば被害がみえないのは当然です。

いずれにせよ、4000人、9000人という数は「少ない」と報道されているようです。「もっと多いはず」という報道が多いのですが、「少ない」と報道されると、「原発事故恐るるに足りず」という風潮を誘発するのではないか、と、変な危惧をしてしまいます。

被害は汚染地域からの強制退去を行った結果ですし、ガン死の裏にはもっと多くのガン患者がいます。強制退去をしなければもっと多くの人がガンで亡くなることになるでしょうし、自然発生ではなく、事故が元でのガンですから「治癒すれば良い」というわけにもいきません。更に云えば、ガンは被害の一部に過ぎません。

疎開をしたにも関わらず、また、低レベルの放射線被曝は無視したにも関わらず、4000人「も」ガンで死亡する想定、と云うべきなのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

管理放出

原子力施設は日常的には放射性物質を放出しない

と、信じている人がいます。「放射能を放出しているのです」と、云うと「あんたらが勝手に云ってるだけだろ」と信じてくれないのです。

原子力発電所には放射性物質を放出することが認められていますし、実績も報告されています。簡単に参照できるのは資源エネルギー庁のこのあたりでしょうか。(原子力安全基盤機構にもっと良い図がありました。)

「私が言っても信じないでしょうから、国の資料でも事業者の資料でも良いから調べてみてください。放出している事は公表されていますから」と、云うと、今度は調べもしないで「放出して安全なのだろう」と言い出すから始末に負えません。

せめて自分で調べて欲しいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

戦争の危険

世論調査では、日本が戦争に巻き込まれたり、参加したりする可能性が高い、と思っている人が増えているそうです。

戦争が起こりそうだ、という気持ちがある時に、報道の雰囲気は「軍備増強」となりがちのようです、が、そこで「軍備増強」という選択をしてしまうと、「起こりそうだ」が「不可避」になってしまうような気がします。

戦争によらず、相手国の軍事力を減らすことが出来れば、それに越したことはなく、これは「交渉」の問題でしょう。国家間の場合、最大の手駒は「自国の軍事力を減らす事」である、と思います。「自国の軍事力を減らす」とかいうと、「他国に利する売国奴」の様に思う人もいるかと思いますが、それは短絡的すぎるのでは無いでしょうか。ちょうど巴投げか将棋の駒の交換のような感じです。

戦争をやってる金銭と時間があったら、もっと他にやることがあると思います。「国防」という観点から見ると、軍事費よりも防災費に予算を掛けて欲しい

と、思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

水俣病に習う

今日5月1日で水俣病の公式発見(保健所に届けがあった日)から50年になるそうです。

工場の排水が原因であることは早くから予想できたにもかかわらず、被害者を拡大してしまった経緯をもっと知りたいと思います。

技術者の立場としては、工場の操業に賛成であれば、工場の操業を続けるためにも、被害が起こらない方法を探る必要があった、と、私などは思うのですが、現実には工場の操業を続けるために、原因を隠し、被害を隠したように見えます。

無機水銀が有機水銀に変わる現象を確認しながら、無機水銀しか流していないと強弁する様は、放射性物質を毒であることを理解しながら、流し続ける六ヶ所村再処理工場に根底の部分で通じるものがある、と、感じます。

50年経っても解決しない水俣病事件を見れば、同様の事件は、起こさない以外に解決方法は無いように思います。

「海に毒を捨ててはならない」というのは公害を起こさない為に重要な原則だと思います。たとえ、やむを得ず、海に毒を捨てる場合でも、「出来れば捨てない方が良い」と思うことは技術者に欠かすことの出来ない道義上の責任であると思います。

けれども六ヶ所再処理工場では「捨ててもかまわない」という原則に置き換えられているようです。操業停止以外の予防を期待するのは難しいように思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »