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2006年12月

憲法第9条を世界遺産に

太田光の「憲法第9条を世界遺産にします」というネタで議論をした番組が面白かった。

日本テレビの番組ですが、これのスゴイところはやはり、どんなに深刻な問題でも所々に笑いが散りばめられるところで、思わず「クス」と笑ってしまいます。

テレビだからか物足りない点があるのはもちろん仕方が無いことだし、最後に否決されたことも残念だけれど

いくつか引っかかったところがあったので、忘れた時の為に書き残してみます。

「もしも9条が必要ならば、改憲して改めてそれを世界遺産にすれば良いんだ」

という趣旨の意見が改正賛成の議員から出たのだけれど、それこそ無謀な理想主義というもので、現在の世界情勢から、世界永久平和を目指そうとした時に、既にいくつかの要因で存在する日本国憲法を利用したほうが、余程現実的である、と思います。

「戦争が起きたら人間じゃありません」という硫黄島からの生還者の方の言葉は重く、だからこそ、「戦争が起きた場合に守るための戦力」よりも「戦争を起こさない」事が、必要であるように感じます。

戦争体験から軍が必要だ、というご意見はご本人の実感でしょうが、それは世界を平和に向かわせる力にはならないと、思います。その時私は思わず朝鮮や中国の反日感情等を連想してしまったのですが、同様であるように思います。大変申し訳ないのだけれど。

「交戦権」というのが議論の的にならなかったのも残念で、交戦権を認めてしまえば、自分から戦争を仕掛ける仕組みが出来てしまいます。PKOなどの非国家的な活動と国家的な活動の違いなども見えてきませんでした。

中国共産軍に対する石破元防衛庁長官の発言は(現役だったらものすごい国際問題になったかもしれないけれど、OBでも問題になるかも)、実は同感だけれど、現在看板に過ぎない憲法9条を実を持ったものにするためには、世界平和が必要であるのは、おそらく間違いないので、憲法9条を維持する、という話はひとり日本国の問題にとどまらないはずです。太田光の「アメリカ軍だってなくそうとしてるんだから」という言葉が印象的です。

逆説的だけれど、現実の世界が本当に平和であるのであれば、憲法9条もいらないように思います。現実の世界が軍事力に支配されているから、是非、憲法9条を大事にしなければならない。と、思いました。

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純国産

準国産を書いたから、純国産も

自然エネルギーの多くは、権利関係も含めて純国産が多いようですね。

輸出国ですらある。

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準国産

12/16の「第2回ニッポン核武装の疑惑を追う講演・討論会」で鈴木真奈美さんの話で印象的だったこと、忘れないように、(自分なりに噛み砕いて)書いてみます。

プルトニウムは準国産エネルギーである

と、盛んに宣伝されているけれど、条約の縛りがあって、ウランの産出国や、濃縮国の意向に沿わない使用は出来ない(一部例外あり)

とのこと。米国が「日本はプルトニウム使っちゃダメ」と、言い出したら、日本はプルトニウムを使用することが出来ない。たとえ国内に現物があっても。だそうです。

石油は輸入さえしてしまえば、後は自由に使用できるのに。

開発に関わったりして権益を持っている海外の油田の方が、法的には余程「準国産」であるようですね。

発想の根底に「条約を無視する」オプションがあるとすれば、プルトニウムは準国産といえるのかもしれません。

と、すると、「プルトニウムは準国産」という宣伝は、「日本は条約を軽んじる」という印象を与えるのかもしれません。

条約を無視するのであれば、日本の核兵器開発に法的な制限は無いでしょう。それこそ核開発の懸念から世界中から総スカンをくらいそうです。

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教育基本法改正

なぜ、今、改正するの?

という疑問には答えていないように思いますが、教育基本法が改正されちゃいました。あーぁ。

与野党の力関係はもう少し拮抗していないと、戦前と同様に、国民の支持を得た暴走が起きるように思います。

内心の自由を侵害はしない、という答弁は相手が大人であればともかく、子供が相手ではどうも説得力が弱いように思います。国会答弁でも、テレビの評論でも、子供を子供として扱うよりも、小さな大人として扱う傾向を感じます。危険な傾向だと思います。

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核兵器への欲求

京都大学でIAEAのエルバラダイ事務局長が講演をおこなって

「なぜ核兵器を必要とするのか、なぜつくろうとするか(の原因分析)がより重要になる」とし、その要因を除去していく必要性を強調した。

と、京都新聞が伝えているのを読みましたが(ちょっと前の3日の話)

核兵器を作ろうとする欲求が非常に高い時期にIAEAが設立され、「平和利用」の掛け声とともに、核の水平拡散が起こったことに対する認識を持たない限り、いつまで経っても「世界の終わりの始まり」の時期は終わらない

と、思います。

それでも、エルバラダイ事務局長は再処理の凍結を促しているのですが、日本では再処理を国策として進め、電力会社は一般国民から集めた電気料金を元手に、プルトニウムの抽出が必要だと派手な宣伝を繰り広げ、政府要職にある人が核武装を想定している現在、「唯一の被爆国」であることだけで、日本が核武装をしないと信じることは、余りに能天気である

ような気がします。

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禁忌

福井県のもんじゅの11周年の集会に参加してきました。

「石油が枯渇するから」と、宣伝された割には、ウランは資源的にはたいした量が無いので、原子力を世界的に大々的に利用するには、増殖、という話が出てきます。

もんじゅは増殖炉のうち、プルトニウム239を生産する原子炉ということになりますが、このプルトニウム239は言うまでも無く、長崎型の原子爆弾の原料となります。

同形式の増殖炉から欧米各国は撤退し、現在精力的に開発しているのはインド、中国、日本、ということになります。(このうちインドのは明確に軍事用となっています)日本と中国がプルトニウム239の生産を競う、というのはアジアの核兵器増殖を予感させます。

北朝鮮、に代表される核拡散が懸念されているときに、もんじゅという典型的なプルトニウム239生産炉の運転を再開する、というのは、世界に対して、日本は核武装を考えている、と思わせるのに十分な事実である、と、思います。

一般市民の感覚としては、核武装しなそうな国ではあるのですが、最近の政治家も国民も核武装に対する禁忌がなくなってきているので、もんじゅの再開は日本核武装への重大なステップである、と考えるのが当然である、と、思います。

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人は嘘をつきます。

まぁ、ついちゃうんだから仕方がない、とも思います。

昔々、産業革命以前であれば、たいした問題ではなかったのかもしれませんが、人の持つ力が大きくなると、大変大きな問題となってきているように思います。

特に、核に関連した場合、嘘は許されないようにも思います。

東京電力で、排水の温度を改ざんしていたそうです。

「安全です」

という前に、平気で嘘をつき続けた事を真剣に考える必要がある、

と、思います。

1度程度であれば、運転には大して問題はないのかも知れませんが、経年変化には少し大きな影響があるかもしれません。

海の環境に対する影響は事前の調査と大分変わるでしょう。限度を超えた原因によっては、安全に不安もあります。

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論争

防衛庁が省になるのに波風も立たず

自民党復党問題では侃々諤々というのは

優先順位が違かろう、と、思います。

復党問題は所詮党のお家問題であって、支持率によって判断されれば良いと思います。一方、防衛庁が省になる問題は、広く国民に意味を知らせた後、選挙の争点として、全ての国会議員が改選された後に採決する、

くらいの手順を踏んで欲しいと思います。

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