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2007年4月

核処分場調査白紙撤回

高知県東洋町の町長選挙は、前町長が名乗りを上げた、高レベル放射性廃棄物最終処分場の調査候補の是非を問うものとなり、

反対派の候補が倍以上の差を付けて当選しました。

これにより、東洋町の立候補は白紙撤回となり、原子力発電環境整備機構も受け入れたそうです。

「調査の受け入れだけで銭がでるなら良いじゃないか。必ず最終処分場になるというわけでもなし」

という意見もあるかと思いますが、東海地震の想定震源域に建つ中部電力浜岡原子力発電所を見れば、自然科学的調査よりも地方公共団体の「誘致」などの社会的事情のほうが優先されるのは目に見えていますので、故郷の山河を大事にするのであれば立候補などするものではありません。

最終処分場を避けるのは「NIMBY」(おいらの裏庭は勘弁してくれ not in my back yard.)であるという主張も聞きますが、自分のゴミならともかく、他人のゴミを受け入れるのはスジが違います。

開発当初から「トイレの無いマンション」と云われ続けた原子力発電です。それでも「夢のエネルギー」と呼ばれた50年前と今とでは、原子力に対する忌避は雲泥の差なので、「こんなことなら、最初に処分場を決めておけばよかった」と思う関係者の方は多いと思います。が、

その手順ではここまで日本中に原子力発電所は作れなかったでしょう。

今後、私の予想では、最終処分場立候補のご褒美の金額がどんどん上がることになる、と思います。幾らで、誰が、自分の故郷の山河を売り渡すのか、非常に気になります。

誰も売り渡さない場合、国家の強権が発動され、地方の権利は踏みにじられるでしょう。

そのような事態を喜ばしいと思うのであれば、原子力発電に賛成すると良いと思います。

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原子力政策配慮で甘く

電力各社の不正問題で保安院から行政処分の発表がありました。

原発の停止などは無く、新聞報道によれば事実上「不問」となったようです。社内処分も軽く、「甘い処分」といった記述が目に付きます。

東海地震の想定震源域に建つ浜岡原発をめぐる裁判では、電力会社の証人が「(トラブルの隠蔽は)ないと思っています。」と証言した同じ裁判で同じ人が制御棒落下事故の隠蔽の証言をしたそうです。もはや(少なくとも表に出ている人は)嘘つきだらけにしかみえません。

原子力発電所に内蔵される毒物は他の発電所にくらべ桁違いに多く、最悪の事態の際の被害は国をひっくり返すほどの威力があります。必然的に規制は厳しい、

と、普通は思うところですが、現実は水力発電所では水利許可の取り消しまでされたのに、原子力発電所は「次からはしないでね」とやさしく許すわけです。

これでは、次からも隠せと言っているようなものです。首相のコメントは「許せない」となっていましたが、政府の正式見解は「許す」ようです。

安定供給を盾に危険運転を許すようでは、そもそも原子力発電を可能とする社会では無い、と云えます。すみやかに他の発電方式に移行する必要があるでしょう。

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婿養子

結婚して苗字を変えたというと

「婿養子になったの?」

と、訊かれます。婿養子というのは、相手の親御さんの養子になったうえで娘さんを嫁にすることですので、(昔のお武家っぽくてノスタルジックに素敵ではありますが)私は違います。連れ合いの父に会ったのは婚姻届を出した後ですし。(爆)

嫁によれば、

反対語の無い言葉は差別のにおいがする

とのこと。

女教師はあっても、男教師はない
女医さんはあっても、男医はない
OL(Office Lady)はあってもOG(Office Gentleman)は無い

主婦という言葉は主夫が市民権を得られて初めて差別のにおいが消えるのでしょう。

女子高の反対は男子校ですから問題ないですが、女学校はあっても男学校はありません。

単純で、かなり実用性の高いものさしです。

さて、婿養子。「嫁養女」とは言いませんので、これにも独特の匂いがあります。

ウチの嫁は

「私を嫁養女にした、と宣伝しても良いよ」

と、言っておりますが。

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名前を変える手続き

結婚して苗字を変えることになったのですが

仕事関係は旧姓使用が定着しているのですが、公的書類は全て書き換える必要があります。

これが一筋縄ではいきません

運転免許証
国民健康保険
国民年金
パスポート(これは切れたままだから次でいいや)
生命保険(旧姓で良いか外交のおねぇちゃんに聞いたらダメと言われた)
郵便貯金
銀行口座
クレジットカード
借家契約(は、多分普通は変えるけど、知り合いの不動産屋だから次で良いか)
電気
ガス
水道
固定電話
携帯電話
ADSL
プロバイダ契約
自動2輪登録
アマチュア無線免許(は、まだ変更していない。やんないと。)

昔のお嬢さん方に話を聞く機会もあるのですが、女学校を出てすぐに結婚、とか割とメジャーな生き方だったようです。そういえば、私が初めてとったパスポートは一回旅券でした。数次旅券をとるのは一部の金持ちのイメージでしたし、免許証なども遡れば同様でしょう。半世紀前に女学校卒で即結婚する場合、上記の手続きはほとんど必要ありません。

そういう社会に戻すというのもひとつの手ではありますが、戻さないのであれば、夫婦別姓、少なくとも旧姓に公的効力を持たせるのは、必然であるような気がします。

ヨドバシのポイントカードまで変えました。本当にたくさん。

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即発臨界?

志賀原発の制御棒落下事件は、即発臨界になっていた可能性がある、との報道がありました。

即発臨界というのは、核分裂時に発生する中性子のみで臨界になる状態のことで、反応速度が人為的な制御が間に合わない程速いため、原発の場合あってはならないものとされています。核兵器の場合は、即発臨界になり、エネルギーの急激な解放が起こります。火薬の燃焼速度に対する速度の違いが爆風の激烈さにつながります。(解放されるエネルギーの大きさだけでは爆風の威力は測れません。)

原発の通常運転時は、核分裂生成物による中性子まで含めて臨界になっているため、制御が可能ですが、即発臨界の場合、爆発するか収束するかは自然にまかせるほかはなくなります。燃料となるウランが減るか、ドップラー効果とか、水が沸騰して減速材がなくなるか、燃料棒が壊れて配置が変わるか。

3本程の制御棒落下で瞬間的な出力は定格の15%程度になったそうですから、単純計算で熱入力が定格の5倍程度、おそらく燃料棒全体ではなく、一部のみの反応でしょうから部分的にはそれ以上になります。それなりのダメージがあったのではないか、と、想像します。(それでも定格の15%程度であれば圧力容器を壊すようなことにはなりますまい。全制御棒落下などにならなくて良かった、と、本気で思います。)

一番心配なのは、作業員の被曝です。データ改竄が確認されている場合、被曝は無かった、という記録も疑わしくなってしまいます。

改竄の罪深さを思います。

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災害派遣

石原新都知事は選挙が楽勝だったので、口が滑ったようです。兵庫県知事から苦言が寄せられているとの報道を読みました。

なんでも、阪神大震災の際に兵庫県知事が迅速に自衛隊派遣を要請しなかった為に犠牲が増えた、と、述べたとか。

自衛隊の災害派遣は正規の業務ですが、これは軍隊としてみた場合、些か疑義があります。

軍隊というのは近隣諸国から見て威圧感がある場合、諸外国の軍備増強の口実となりますので、自衛のための兵力であれば、「最小限」であるべきです。し、自衛隊も建前ではそのハズです。

ところが、最小限であるならば、災害があったからという理由で持ち場を離れてしまっては国防がおろそかになってしまうので救援に向かうわけにはいかなくなります。

ここには矛盾があります。

諸外国から見た場合、災害派遣を本来業務とする自衛隊には、自衛の為の最小限を超える余剰兵力があるように見えます。これでは近隣国の軍備増強に対する異議申し立ての根拠が弱くなってしまいます。

余剰兵力にまわす人員と予算を消防に回すことにより、この矛盾は解決します。もしも戦争が起きたとして、それは現在の情勢では総力戦となるでしょうから、消防力は防衛力の一部を強力に担います。そして平時であれば諸外国に対する威圧にはなりません。

軍隊による災害救助の違和感は海外派遣である場合、顕著に現れます。もしも関東が巨大地震に襲われたとして、近隣諸国の軍隊が援助に来るとして、受け入れるのに躊躇しないでしょうか。関東大震災の際に米国の軍隊がやってきて、その際のもろもろの活動がその後の戦争時に影響を与えたそうです。国外に派遣する場合、国外からの援助を受け入れる場合、軍隊と消防では敷居の高さが明らかに異なります。

戦争は人のすることですから、外交努力で避ける事も可能でしょうが、天災はそうはいきません。災害を考えるのであれば、軍事よりも防災に予算を割くべきである、

と、思います。

(本稿寺田寅彦の影響がアリアリですね)

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選挙

今週末は選挙です

さて、困った、誰に投票するか、なかなか判断がつかない

東京都知事選などをみていると、各候補が政党の公認を避けていたりして既存政治勢力に対する敬遠が世の主流となっている模様

けれども、投票率が上がらない場合、組織が強いところほど票を伸ばすのが当然で、棄権をする人は自覚的には候補者に対する不信任を表しているのかもしれませんが、実質的には既存政党への信任をしていることになります。

無理やりにでも誰かを選んで投票するのもスジではありますが、納得できない候補者に投票するのも気分が悪い。棄権は権利の放棄ですし、白紙投票というの形式的には不信任ですが、実質的には組織票信任になってしまいます。

どうしても決められない、という状況であれば、「次点」に投票するのがよろしいかと思います。ギリギリで当選したという感覚が残れば、次点との差が小さければ小さいほど、当選した議員は、緊張感を持って政治活動をするのではないでしょうか。

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契機

昨年の暮れに、つき合い出して一月半の彼女と喧嘩をしたのですが

その時の彼女の口上が

「二度と会わないか、私の苗字で結婚するか!」

と、云うものでした。

なんとも激しく独創的で、一瞬虚を突かれてしまいましたが、おもわず後者を選んでしまいまして、そういうわけで私の戸籍の氏が去る一月七日に変わりました。

夫婦別姓法案も棚上げ状態になっていまして、婚姻届をみても、どちらかの姓を選ぶかのチェック欄があります。いや、どちらの姓を選んでも良いようにはなっていますが、夫となる人の欄のほうが「上」にありますし、どうも世間では女性の方が氏を変えるのが当然という風潮があるようで、私としては貴重な体験をする幸運に見舞われたわけです。

と、いうわけで、現代社会の一個の人間の苗字を変える事が、どれほど大変で、即ち夫婦同姓を強要することの不合理であるか、をつらつらと書き連ねていくつもりです。

自分は一生結婚なぞしないものだ

と、勝手に考えておりましたが

全く人生というのは解らないものです。

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