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デシジョンポイント

東京電力柏崎刈羽原発の歴史を紐解くと、

電源開発基本計画決定が1974年
国による1号炉の設置許可が1977年
1号炉着工が1978年
2号炉、5号炉設置許可が1983年5月
2号炉、5号炉着工が1983年10月
1号炉の臨界が1984年12月
3号炉設置許可が1987年4月
4号炉設置許可が1987年4月
3号炉着工が1987年7月
4号炉着工が1988年2月
5号炉臨界が1989年7月
2号炉臨界が1989年11月
6、7号炉設置許可が1991年5月
6号炉着工が1991年9月
7号炉着工が1992年2月
3号炉臨界が1992年10月
4号炉臨界が1993年11月
6号炉臨界が1995年12月
7号炉臨界が1996年11月

丁度バブル期に矢継ぎ早に建てられたことが見て取れますが、「平成19年中越沖地震」が、もしも、1974年に起きていれば、計画は頓挫していたことと思われます。

さて、現在の報道を見ると、柏崎刈羽原子力発電所がこのまま廃止になる可能性を毛ほども感じさせません。

上の時系列のいつ頃が転換期だったのでしょうか。

余りに沢山投資してしまったために引き返せなくなっている。というのが現実のようですが、どんな投資でも、「これ以上負債を増やさないために」損きりをする必要はいつでも検討が必要です。つぎ込んだ資金を惜しんで株で大損する話などは、よく聞きます。

これから建設をすることが許されないのであれば、今からでも廃止にすることも、「原子力発電所に内蔵される放射能の量から予想される最大規模の災害を考えれば」不自然な話では無いと、思います。

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